二〇二二年三月更新履歴
本稿を起こしているのは三月三十日の午後十時です。
本日の昼頃、 写真家広田泉さんの訃報が SNS に飛び込んできました。
二年前の記事で、 広田泉さんの癌公表に触れました。氏はこの二年、 よくぞ癌と闘ってきたと思います。
今はただ、 安らかに。安らかに。
date: 2022-03-31
更新履歴
ここからは三十一日に書いています。
二日
新たに藤堂備前の動向を採取出来たので年表に追記しました。また前史 「有力領主藤堂氏」 にある藤田論文引用で 「欠けが見つかり補充。さらに累代解説でもリンク]欠けが見つかったので補充しました。
四日
新たに藤堂九郎左衛門の動向を採取出来たので年表に追記しました。また目次と年表のタイトルに藤堂高虎前史と追記しましたが…..
七日
で結局、 年表のタイトルからは 「前史」 を消しました。あまり深い意味はありません。また年表内の読点がコンマのままになっていたので、 これを修正しました。
また景盛記事へのリンクが間違っていたので修正。さらに信重の兄弟について徳島大データベースからの引用と追記しました。
十四日
前史 ・ 景能を公開しました
十六日
多賀記事、 歴史記事トップのリニューアルが完了し公開。
また信重記事では、 兄弟について、 天正中期稿にて兼見卿記から籾井攻め ・ 大山攻め ・ 三月出兵について追記。また北郡征伐について地誌を参考に追記。そうして年表をも更新。
さらにヘッダーメニューに高虎前史を追加し、 員昌記事では香水氏書状を追記しました。
二十三日
前史 ・ 景富景勝景長三兄弟を公開。
出雲記事、 多賀新左衛門常則記事で系図がおかしかったのでスペースを工夫して修正。
また藤堂多賀関係の目次の箇条スタイルがおかしかったので、 こちらも訂正。更に高虎と近い多賀氏記事にて、 新たに採取した梅原氏について追記を行いました。
二十五日
トップページに問い合わせ先として、 アカウントへのリンクを掲載しました。
やはり、 何だかんだあると無いとでは大違いですからね
二十六日
アニメ遍歴 2021 を更新しました。もう正月ぐらいには作っていたんですけどね、 86 の放送が遅れていた為に放置しておりました。
今回 86 の放映が無事終了したので、 ようやく公開できました。
とかいってたら、 今度は 2022 年の稿を起こさないと。忙しいね。
雑録
いやあ、 なかなか沢山更新しましたね。
本当のところは年度内に前史の更新を終わらせたかったんですけどもね、 どうにも私の気力が持ちませんでした。
とはいえゴールデンウィークまでには公開したいですね。良いことは、 早いほうが良いので。
で、 更新を疎かに何をしていたのかと言えば、 多賀記事にお熱でした。特に 『次世代デジタルライブラリー』 という新しいおもちゃを手にした私は、 それはもう調べまくりました。
特に多賀貞隆が細川国慶を打ち破った戦いを発見したのは、 かなり興奮しました。まだまだ細川国慶という人物の認識が足りてないので、 四月は関連書籍を読みまくり学ぶ必要があります。豊後守記事に追記するのはそれからですね。
また藤堂家編纂史料に見られる紀州攻めについて、 地名の具体化を和歌山県に見識のあるフォロワさんの協力のもと行ったりもしました。
色々調べてみると赤木城は北山地域の抑えとして便利な場所にあることを再認識しました。
他に youtube を始めたりして、 ここ二年来色んな方の解説動画を見てね、 あ~自分も七兵衛さんと高虎公でやってみて~~~と思っていまして。
まあ皆さんのようにビジュアル化のスキルは無いし、 正直動画のスキルも無いんだけど、 それでも youtube は黎明期に囓っていたのでやれんことはないのです。というわけで、 メモにチビチビ資料作って、 それをパワポに起こして制作してみました。
音声はやはり定番の softalk を使おうかと思ったけど、 マイクロソフトのアプリに音声読み上げが使えるアプリケーションがあったので、 面白半分そちらを使ってみました。画質も無料だから半分なのですが。
しかしまあ、 再生数伸びないねえ。わかってはいたけど、 伸びないねえ。
試しにニコ動にアップしたのは、 少なからず観てはもらえているので、 そこはまだ救いですかね。
動画は基本短めのほうが此方も楽なので頑張りましたが、 高虎の動画は十分を超えてしまいました。うーんこれでも要点絞った方なんですけどね。
更によ、 小説も書き始めてるんですよ。
なかなか秀保が出てくる作品がないので、 じゃあ自分が書いてしまおうと。
元々は前史が終わったら大和豊臣家を書こうと思って、 コツコツ史料を集めていたのです。しかし多聞院日記や駒井日記を読んでみると、 これがなかなか面白くて。ここに関白秀次の切腹で、 高虎と羽田長門が関わっていたな、 という話を思い出したのと、 文禄四年(1595)に桑山重晴が加増を受けていた点を思い出し、 物語が閃きました。
かなりダーティな一作になりそうですが、 頑張って文禄四年(1595)の夏まで書き上げたいと思います。
そうですよ、 元々高虎の一代記を書こうとして史料を集めていたら、 あまりにも心許なさ過ぎて研究になってしまったんですから。ようやく原点回帰ですね。
それでいくと、 多賀貞隆や虎高、 新左衛門を主軸に据えた小説も面白そうです。此方もどこかで書きたい!
中の人的には、 いい加減そろそろ身の振り方を考えねばならぬ。いつまでたってもウダウダしてたら、 将来が困ります。でもなかなか動けるもんじゃあなくて、 一度壊れた身は難しいですよ。
それこそ上に羅列したことで食えたら最高なんですけどねえ。
自転車あれこれ
しかし無性に自転車で立川に行きたくて仕方ありません。
何故か今年は、 桜を見る気が起きない。だからもう桜は諦めているんですがね、 いや立川で桜を見たい。立川の桜だけは無性に見たいのだ。
肝心の自転車がどうも前輪がスローパンクを起こしているらしい。何処がパンクしているのかわからないから、 調べるついでにリムテープを新たにしようと Amazon で部品を注文したのだけれど、 チューブは早く届いたのにリムテープがまだ来ない!
本当なら昨日三十日に届くはずだったのですが、 三十一日の正午前になっても未だ来ない。繁忙期とはいえ、 うーんニャンとかならんものか。
で、 ここからは 18 時 52 分からの追記なんですがね、 リムテープは正午半に届きました。
午後に色々作業して、 チューブを水につけても特にパンクの気配は無かった。なのでリムテープだけ交換。フランス製のコットン 16mm。メーカーに 16mm が良いと昨年言われていたのですが、 売ってないんですよ 16mm サイズ。ようやっとコットンのフリーサイズを見つけたのです。そしてその取り付け、 やはり言われておるように空気穴はズレますね。
ドライバーでは太すぎたので、 手許の良い塩梅の細長い棒を使うとこれが良かった。
いや、 最悪でした。グリスをしっかり塗ったクイックレバーをぶっ差し、 手はグリスまみれ。その手でリムテープを貼ったもんだから、 もうコットンに油の黒いのが染みてしまう。
一般的にゴム製品に油が着くのは最悪です。
今回 IRC のチューブも注文して、 IRC 合わせにしようとしました。ですが新しいチューブに油は本当に最悪です。
しかし、 ここでリムテープを捨てると、 今度は自転車に乗れなくなる。仕方ないから新たなリムテープを見つけるまで、 今までのチューブで暫定的にいくことにしました。
ダメになる前に、 リムテープをどうにか探す必要がありますね。
後輪のリムテープは、 握力の限界などでタイヤが外せませんでした。遂には指の皮が剥がれたので、 諦めてタイヤレバーを発注しました。本当なら去年のタイヤ交換で、 一緒に注文するべきでしたが、 横着して購入していませんでした。
それでも毎回苦労するホイール取り付けが、 今回は上手くいったので可とします。
ついでにチェーンを洗浄液で拭いて、 これは本当は吹きかけたいけど室内で行ったので吹き付けた布で拭き取る形。
注油も室内で試みるも、 室内ではどうしてもオイルが床に落ちるのが怖くて、 上手い塩梅に出来ず。仕方ないので、 試走前に外で差しました。注油後のペダリングの軽いこと!軽いこと!
もうこの気持ちよさで、 リムテープを巡るモヤモヤは吹き飛びました。
でこれで追記を終えようとするとメーカーから回答が。
16mm から 18mm の間なら良さそう、 との事です。ありがとうございます。探してみます。次やるときは六角レンチか何かを穴に突っ込みたいと思います。
広田泉さんを偲んで
写真家の広田泉さんを知ったのは、 何であったろう。
恐らく 2005 年かそのぐらいに、 キヤノンの鉄道写真セミナーを紹介した鉄道ファン誌の記事であったろうか。
その後、 ある鉄道写真ムック本にも広田泉さんが登場し、 流石大家 ・ 広田尚敬翁の御子息とあって上手いし話も面白いと感じ入った次第。
インターネットにのめり込むようになると、 一時期狂ったように広田泉さんのブログを眺めていたもので 「モノサク」 に行ってみたい!と思ったのは、 氏のブログ投稿群を読んだからです。
生憎モノサクで撮った写真は、 DVD 記録面の破損で多くが損失してしまいましたが、 私の心の中には憧れのモノサクを歩いた夏休みの興奮は今も鮮明です。
ムック本で氏が説いていたなかで、 ホームを持つこと、 ノートをつけることが印象残っています。
氏が紹介していたホームグラウンドこそ 「モノサク」 でありました。
私は字が拙いので、 自分の字が好きじゃないから、 デバイスを手にするまで書く習慣は無かったのだけれども、 デバイスを手にしてからは身につきました。氏は撮影の為のノートを説いたわけですが、 私の場合は調べごとのノートですね。
その後、 広田泉さんはオリンパスのミラーレスにも関わりを持ち、 オリンパス党である自分は大いに喜びました。
何度かオリンパスプラザで写真展を催されて、 自分もいつかお邪魔したいと思っていました。いつでも行けるだろうと思って、 行かなかった。
書きながら、 大いなる後悔です。
広田泉さんは鉄道以外にも造詣が深く、 レース ・ ガーデニング ・ DIY と、 本当に活動的で元気で格好良かった。
だからこそ癌、 それも末期癌と聞いた日には驚きました。
youtube で病状を報告されていましたが、 本当に辛いのによくぞ動画内では明るく振る舞われて、 どこまでタフなんだと驚きました。
あれほどの方だからこそ、 三年弱も闘えたのでしょう。
広田泉先生、 ありがとうございました。
何処かでモノサクに行って、 追悼のシャッターを切りたいです。
それではまた、 来月。