2月雑記

お陰様で一つ歳を取りました。何とか生きてこられて 幸せです。

更新情報

今月の更新です。
今月は突発的な用事が重なった週があり 思ったように更新出来ませんでした。
とはいえ また一つインプットに時間をかける事が出来たのは良かったなと思いますね。

二月二十八日

織田信重のすべてにて誉田航平氏の論文を読んだ感想を追記。
二月五日にタイムラインに流れてきて驚きました。一足先にやられたな!みたいなところが無かったわけでもないですが それでもまずは 信重 の周知が広まりそうで嬉しいですね。

元亀争乱下の高島 - 高島の歴史にて武田信豊が永禄元年(1558)に高島へ逃れた旨を追記。また言継が記した兵力を戦の目的項へ移動。和睦条件を追加
若狭武田氏については 何れ手を出さないといかんなあと思っていましたが 別で読んだ論文に加えて今書こうとしている研究ノートに関連するので手を出しました。まあ思ったような結果ではなかったのですが それでも信豊が高島へ逃れてきたなんて全く知らなかったので 知る事が出来て良かったです。
また志賀の陣の和睦条件については 此方もタイムラインに流れてきた内容を見て驚いたのですが やはりこうした史料との出会いに欠かせないツールなので やめるにやめられないなあと感じますね。

浅井亮政の台頭と高島 - 浅井氏三代と高島にて内保河原合戦について微修正と大原五郎について加筆 他に大物崩れの余波から天文七年までの動向を拡充加筆。
此方 当初は件の研究ノートに関連する内容 つまり天文二年の和睦について加筆だけにしておこう と思ったのですが 手を加える内に 大物崩れからの六角の動きや 今月再び 村井祐樹先生六角本三種 を熟読し掴めた天文四年頃の動向を加筆したくなりました。
結果的に下之郷の戦いの年次に影響がありましたが 以前から天文四年とする通説には疑問があったので それが裏付けられた形になったのは良かったです。ただ論拠となる 臼杵稲葉文書 そのものを まだ読めていないので 読んだらまた加筆したいですね。

戦国時代中期の多賀豊後守貞隆 - 藤堂家と多賀家の関係についてにて下之郷の戦いの年次について加筆。雪中行軍云々を削除。
これは上の流れを受けたということで こうなりました。雪中行軍については 言継卿記の天文四年正月条を読んで これはひょっとして?という疑問から生まれた説で自信もあったから消したくはなかったのですが 仕方のない事だなあと思います。
ちなみに同年以降では 良い天気であるか記録が見られないので 当時の下之郷の天候を推し量る事は難しかったです。

元亀争乱下の高島 - 高島の歴史にて 高宮と久徳の因縁 という見出しを追加。
これは 元亀争乱 はどっちのファイルだったっけ と適当に開いたら 字がぎっしり読みづらいので 見出しを加えた形です。

二月二十九日

織田信重のすべてにて誉田航平氏の論文を読んだ感想更新。
二十七日時点では 丹羽長秀が高島にも軍事指揮権があったとの見解の論拠となった史料の年次が 今一つ良くわかっておらず以下のように述べていました。

また丹羽長秀が高島にも郡司指揮権を有していた論拠として掲示した史料 某年正月十六日付秀吉宛信長朱印状 加越能古文書 信長文書下巻 550 については 長秀が 惟住姓 を賜ったのが天正三年(1575)七月三日であるから それ以降の事と考えられるが 越前の一揆は同年九月までに鎮圧されている。
信長記 池田家本 大日本史料 10 20 534 では天正二年(1574)正月十九日に 秀吉 武藤 長秀等が敦賀へ派遣されている様子が述べられている。恐らく件の朱印状は天正二年(1574)のもので 惟住かたへ とある部分は元々 五郎左かたへ とあったのだろうか 後年手が加えられたのではないか。こうした矛盾から奥野翁は年代が決定しにくく附録としている

しかし二十八日に更新してから どうやら 富山史壇 132 織田信長発給文書の基礎的研究その二 尾下成敏 で天正四年(1576)に比定されているらしいことを知った訳です。和田裕弘 信長文書拾遺補闕その一 信長研究
ならば全く以て不適当でありますから削除に至しました。いやはやお恥ずかしい。

丹羽長秀が広く軍事指揮権を有していたという指摘は大変興味深く これは高虎の生涯にも関わりそうだなあと思いますね。

今月の健康

まずは今月の健康です。

しもやけ

今月序盤 夜の寒い日に自転車に乗っていたら 左手薬指をしもやけで傷めました。インナーの手袋を装着し忘れたのが原因で 走っているときに これはしもやけが起きると感じる痛みでした。此方は普段皮膚科で処方して貰っている塗り薬を塗って 一応先生にも見てもらいました。
お陰で早く治ってくれました。痕も綺麗な方で良かったです。

皮膚科に行った翌朝 登校する児童のために早朝から雪かきを行っていましたが やはり下半身や広背筋 僧帽筋の下部を痛めましたね。
別にそれは承知の上でやっているから良いのですし 皆さんから ありがとうございます と言われたので良かったです。

右肘

その次の週に 右手の親指から肘にかけて少々痛みがあって。これは恐らく使いすぎ いわゆるテニス肘であろうと。触ると前腕 肘の外側に痛みがあり ストレッチをしたりトラックボールを左で使ってみたりと 安静に取り組みました。
またウォーキング中に右肩が詰まる感じがして これは良くないと右肩甲骨付近をほぐしたら 結構肘も軽くなったので良かったです。指先から肩甲骨まで繋がっている事を再認識しました。
痛み出す数日前に ブリッジしたあと床に全身ベタ付けしようとしたら 右肩がバキってなって嫌な感じがあったのですが これも影響したのかもしれません。
あと見よう見まねでやったテーピングも良かったです。

左肘

先週少し落ち着いてきたから リハビリがてら壁腕立て伏せを行おうとしたら 左肘に変な力が掛かってしまいました。
何なんでしょうね。普段歯を磨いたり食器を持ったりするのも左腕だから なかなか厄介です。痛みこそ早めに落ち着きましたが まだまだ違和感があります。元々身体の左側は肩甲骨の動きやら 肘の開き具合やら違和感があったので 積み重なったものが影響しているのかなあと思ったりもします。
触ってみると上腕三頭筋の肘周辺に痛みがありました。こちらもストレッチと安静に取り組みました。
肘自体 結構腕立て伏せでカクカクしたり 懸垂で刺激が走ったりすることがあって 元々の弱いところを放置したツケなのかなあと思いますね。
こちらも見よう見まねでやったテーピングが良かったです。

とりあえず右肘の経験から肩甲骨から鍛えていく事の必要性だったり 肘の上下にある前腕 上腕の筋肉も鍛えていく必要を感じています。またこれまでも二頭筋の疲労を覚えることもあり ストレートブリッジにも向き合いたいなあと思います。
鉄棒にぶら下がってみると 左肩甲骨から上腕にかけてがキツかったので 解していかないとなあとも感じています。

左足

まだ身体の不調が上半身だけだったら良いのですが 此方も左肘を傷める前日ぐらいから 左足くるぶし下に違和感があります。
激痛ではないし 腫れているわけでもないのですが どうにも鈍痛。これは腓骨筋腱炎というやつなのかなあと。歩いたり入浴すると気にならないのですが じっと座っているとジワジワきます。とても厄介です。
しかし足の安静というのはよくわかりません。歩かないなんて不可能ですし ストレッチは?とか思うわけで。
とりあえず今週自転車に乗ってみたら思ったほど足首に負担が掛からなかったので ウォーキングは取り止めて自転車に乗るようにしています。
こちらもテーピングをしたり 捻挫の時に貰ったサポーターを付けてはみましたが 今のところ効果を実感してはいません。

元々両足が O 脚気味で 内反気味とも言われているので 普段の何気ない生活で左脚腓骨筋に負担が蓄積した結果なのかもしれませんね。また月の前半に大腿四頭筋を鍛えたり 四股を踏んだりとしていたので こちらでも負担が掛かったのかもしれません。
とりあえず右脚は問題ないので 後脛骨筋を鍛えてみるかなと思ったりもしています。

二十二日の誕生日の日に 違和感を感じ出したので ちょうど一週間になるわけですが 週が明けて月が変わっても続くようなら整形外科に受診したいと思います。

さて折からテーピングに触れてきましたが 私も一応習った経験があるので 一式揃っています。
しかしテーピングを施してから思いました。私は肌が弱いのだから 肌を守るアンダーラップを巻くべきであったと。
案の定 テーピングを施した両腕は粘着でかぶれ 痒くなってしまいました。
ただでさえ花粉症で痒いのに 散々ですね。

来月は 肩甲骨周辺や 良くなったら足の内側を重点的に行いたいところです。
左足では 小指が内側に向いて内反 親指も内側に外反と散々な状態。足のアーチが崩れているのでしょうから こちらもアプローチが必要だなあと感じます。

雑記

さて二十二日に誕生日を迎えました。今年も無事に生きてこれたので良かったです。身体の状態を除いてしまえば 誕生日までに成し遂げたいと思っていたことが叶ったので とても良かったです。本当に嬉しいところ。
お陰で春から新たな日々を歩めそうです。

また学生時代に波長が合い 今もメッセージアプリで連絡を取り続けている親友からも嬉しい報せがあり とても良いです。お互いに人生を動かしているんだなあとしみじみ感じます。久しぶりに会いたいね~なんて話になっているから 是非とも旧交を温めたいですね。

こうもインターネットが殺伐とすると やはり電脳空間というのは有限的であり 結局は現実世界の方が無限なんだなあと痛感させられます。EXILE の曲でそんな感じの歌詞もあったけど あれは真理を突いていましたね。
だからこそ自分も もう少しオンラインでちまちまやるんじゃなくて もう少し本名的な活動をしたほうが世のためにも良いのではないか と思うようになりました。これは欲求の行き着く先でもあるかもしれませんが 私個人のささやかな野望のなかに 良いことで名前を残して死にたい というのがかねてありました。
また SNS サービスごとに自己防衛的に名前を分けていることが仇となり 少々 電脳人格 が安定せずフワフワしている部分があります。そのような自己の曖昧さを抱え続けるなら いっそのこと匿名なんかやめてしまっても良いのでは? と思うようにもなっています。

今月の大きな話題としては Bluesky の開放でしょうか。あっという間に多くの方が避難先にとアカウントを作成されました。
私自身 昨今の拝金主義的スパムや同意した覚えの無い AI 関連の規約などに嫌気がさし Twitter での活動は縮小しているので どんどんこうしたサービスに移ってくれると助かります。
まだまだ Twitter でしか得られない情報やイラスト 交流できない存在というのはあるので 今すぐにアカウントを削除とまではいかないのですが そうしたところで煩わしさが無くなってくれると後腐れ無くアカウントを消すことが出来ます。

そうそう Bluesky の使い方も はじめて半年経ってようやく少し覚えましたよ。特に本人確認としてドメインを ID に登録出来るというのは面白いですね。
だから自分も そろそろドメインを買って このサイトにも Bluesky にも付けてやりたいなあと思っています。
でも これは買わない言い訳でもあるのですが どうにもドメインが思い浮かばないのです。
最初は shulinne でも良いかな?と思ったけど どう見ても人名で この名前で現実を生きておられる方がいらっしゃるわけです。その方を差し置いてドメインにするのはおこがましいところがある。Bluesky ID は宣教師が記した 七兵衛 ですが 此方も人名だ。そうなるとひじき….?う~ん。と まあこんな感じで悩むわけです。
創造力が豊かすぎるのも困りものです。

リステージ新ユニット新曲について

楽しい話をしましょう。
今月 私の大好きなリステージの新ユニット二組の曲がリリースされました。
正直新ユニットが発表されたときは えー増える方向なのかあ と思いましたが ビジュアルも設定も CV 既存キャラとの接点と因縁も完璧で すぐに気に入りました。
Archouchou アルシュシュ は今をときめく吉武千颯さん Trium Tone トライアムトーン は和泉楓花さんと 知った顔だったので嬉しかったです。

私はリステージの楽曲も好きだから 当然両ユニットの新曲は全部好きです。
特にアルシュシュの カラリコロリ トライアムトーンの WANTED はほぼ毎日聴くレベルです。刺さりました。

実はこれらの曲って youtube で聴けるんですよね。私は最初 これらを法に触れるタイプなのかと思っていましたが どうやらこれが youtube music というらしい。
公式のリンクにもあったから 良いのでしょう。
せっかくなので私もリンクをね張っておきます。
アルシュシュ
トライアムトーン

さて今日は四年に一度の閏年二月二十九日です。前回は 2020 年。ログを見てみるとサイトのデザインを弄っていたんですね。
今はサイトの外観よりもコンテンツの充実に励んでいます。四年後 次の閏年では私自身もサイトもどうなっているのでしょう。未来のことは何もわからないです。
色々考える二月でした。