よう来たねえ
このサイトはちょっとした私的書庫 ・ データベースです。
5 という数字は美しい (アニメ ・ バミューダトライアングル~カラフルパストラーレ~から) +いろいろやってるので五目。
お品書き
藤堂高虎周辺の歴史藤堂高虎前史織田信重のすべてサブカル更新とログ与堂おじさんを偲ぶ
動画もあるよ
津田信澄?織田信澄?いや織田信重!
高虎が秀長に仕えるまで
野良田の戦いは無かった!?
細々と小説も
文禄四年の政変
更新情報
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2024 年
九月十五日
高島郡司磯野員昌の実像、 池田高祐を某高祐へ変更。
blog 記事、 一部内部リンクの先頭に/追加、 ボタンリンクを修正
九月七日
藤堂高虎初期重臣の前歴、 永田氏について加筆
多胡宗右衛門を考える、 見出し誤字修正、 永田氏 ・ 佐左馬要害について大幅に加筆改編。
浅井亮政の台頭と高島 - 浅井氏三代と高島、 誤字修正表現修正、 永田氏について大幅に加筆改編。
浅井久政と高島 (京極六郎の乱) - 浅井氏三代と高島、 誤字修正表現修正、 史料解釈変更、 家督相続について大幅に加筆改編、 栄典授与について立項。
元亀争乱下の高島 (三) - 高島の歴史、 誤字修正表現修正、 佐左馬要害について改編。
藤堂氏史料年表目録 - 藤堂高虎前史、 藤堂弥五郎事績を追記。
カラパレ初イベントを見届けて、 公式アカウントの削除に伴いツイートの掲示方式を変更。
八月三十一日
司馬遼太郎作品に見る藤堂高虎公開。
永禄年間 ・ 浅井長政と高島
永禄六年 ・ 永禄七年の混乱
何れも新史料を反映した酒波加増について加筆。
八月雑記公開
八月十二日
大溝城を考える公開
七月三十一日
七月雑記公開
七月二十七日
解明 ・ 大和宿老衆、 ジャンプリンク修正。羽田について姓→名字へ変更。
幕末地下人藤堂氏、 藤堂景孝の動向一件追加。
元亀争乱下の高島 (三) - 高島の歴史、 引用出典書名の括弧半角スペース追加。
永禄年間 ・ 浅井長政と高島、 もも→も (修正)。
七月二十日
解明 ・ 大和宿老衆、 6 つの記事に分離。また様々加筆あり。
しかしながら同書は→しかしながら情報量には限りがあるし、 同書の本編は ・ 修正、 北山組地士其外由諸書上扣 (倉谷文書) を二重括弧、 不完全な成敗で終わり (池田伊予文書) ←出典加筆、 赤木城についての考えを注釈に示す。20240628 に多羅尾光信 (玄蕃) について立項した。(20240720 追記)、 関係性について原形を留めぬほど大幅加筆。
桑山 では賤ヶ岳の戦い、 足立氏について加筆。同記事横浜一庵について長弥二郎 「妹が高虎側室となった関係で」 追記、 羽田に関して 傳八と諸大夫について加筆
高虎では山本主膳の死について加筆と注釈、 「一色氏の娘で」 「その間に子は無く」 [後に 「高吉」] から変更。多賀貞能について 「一説に多賀新左衛門と同一人物とする説もある」 から変更。秀種、 関連論文追記、 「貞能の婿を織田信長が強引に」 から変更、 「多賀文書の多くは秀種やその子息が保管してきた書状が中心で、 所領曖昧の大和衆のなかで知行目録を二つも遺したのは偉業である」 から変更。少兵衛、 注釈。新左衛門、 関連論文追記。「この記事を読んで欲しい」 から拙稿へ変更、 「間接的に」 加筆。吉左衛門 1 「(寛政譜) 高虎の」 加筆。
小堀では三右衛門の諱について加筆。吉川平助、 「彼は」 加筆。子孫と出自について加筆。
池田伊予では伊賀検地説を立項、 梅原の妻が奥田氏であることを注釈。
七月十九日
サイト内画像を webp 化、 管理用に pic を付記
高島郡司磯野員昌で 「秀長の右腕小堀新助妻」 を 「秀長の右腕小堀新助に嫁いだ娘」 へ変更。