よう来たねえ
このサイトはちょっとした私的書庫 ・ データベースです。
5 という数字は美しい (アニメ ・ バミューダトライアングル~カラフルパストラーレ~から) +いろいろやってるので五目。
お品書き
藤堂高虎周辺の歴史藤堂高虎前史織田信重のすべてサブカル更新とログ与堂おじさんを偲ぶ
動画もあるよ
津田信澄?織田信澄?いや織田信重!
高虎が秀長に仕えるまで
野良田の戦いは無かった!?
細々と小説も
文禄四年の政変
更新情報
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2024 年
十一月三十日
十一月雑記公開。
十一月二十二日
藤堂氏と多賀氏の関係、 見直しに伴う工事期間へ。
解明 ・ 大和宿老衆(2)、 高虎 (秀次関連) ・ 多賀貞能 (新左衛門 ・ 信濃守統合。
解明 ・ 大和宿老衆)、 秀保没後の大和豊臣家 ・ 秀次子息継承説に関して追記。
十一月九日
高島地図更新。大溝城周辺の増補 (大溝城を考える補遺での成果物)、 三浦惣中寺院追加。
大溝城を考える補遺 ・ 現地探訪記更新。誤字誤変換修正。
十一月八日、 多賀町の本田洋先生 (多賀町立文化財センター所長兼あけぼのパーク多賀館長) より 『多賀新左衛門尉の系譜 (三) −多賀貞能の場合 (補遺) −淡海文化財論叢 第十六輯』 を御恵贈戴きました。
本田先生の一連の研究には、 私 hijiki_5/A .T も勝手ながら協力しておりますが、 本稿は私が協力 (史料提供) した部分も反映されており、 恐縮の至りです。
(昨年刊行の 「多賀新左衛門尉の系譜 (二) 淡海文化財論叢 第十五輯」 でも同様です。改めて御礼申し上げます。)
さて本稿は熙春の記録から多賀貞隆の没年を探ると共に貞能の供養について検討し、 更に多賀貞能と千利休の繋がりから彼の文化的素養を検討する大変意義深い論文です。
今回貞能と千利休の関係性が明らかとなったことで、 多賀新左衛門と多賀信濃守が同一人物であることにようやく合点がいきました。
つまりこれまで消極的に別人説を採ってきた私も、 ようやく同一人物説を理解 ・ 納得することが出来ました。
そうなると弊サイトのメインコンテンツの一つである 「藤堂家と多賀氏の関係について」 も、 見直しが必要となりました。追って更新していきたいと思います。
十月三十一日
十月雑記公開
十月二十四日
大溝城を考える補遺 ・ 現地探訪記公開。
2024 近江旅行記、 加筆誤字修正表現修正。
大溝城を考える、 加筆。
系図と編纂史料への疑問、 そして藤堂高信は存在したのか、 梅戸高実の死について加筆。
永禄四年の争乱、 永禄五年の動静- 高虎年表、 梅戸高実の死について削除と加筆。
九月三十日
RSS タグを hijiki_5 に。
九月雑記公開
2024 近江旅行記公開。
九月十五日
高島郡司磯野員昌の実像、 池田高祐を某高祐へ変更。
blog 記事、 一部内部リンクの先頭に/追加、 ボタンリンクを修正
九月七日
藤堂高虎初期重臣の前歴、 永田氏について加筆
多胡宗右衛門を考える、 見出し誤字修正、 永田氏 ・ 佐左馬要害について大幅に加筆改編。
浅井亮政の台頭と高島 - 浅井氏三代と高島、 誤字修正表現修正、 永田氏について大幅に加筆改編。
浅井久政と高島 (京極六郎の乱) - 浅井氏三代と高島、 誤字修正表現修正、 史料解釈変更、 家督相続について大幅に加筆改編、 栄典授与について立項。
元亀争乱下の高島 (三) - 高島の歴史、 誤字修正表現修正、 佐左馬要害について改編。
藤堂氏史料年表目録 - 藤堂高虎前史、 藤堂弥五郎事績を追記。
カラパレ初イベントを見届けて、 公式アカウントの削除に伴いツイートの掲示方式を変更。